「聖書の言葉」  06.07.02
            使徒言行録17:1〜15

 「聖書の言葉によって生かされている。力を与えられ、
支えられる。聖書があって本当によかった。」心からそう
思うことがあります。
 いつの時代であっても、聖書の言葉によって人は
生かされます。伝道旅行を続けるパウロたちもそうでした。

 フィリピからテサロニケ、ベレアへと伝道旅行が続いて
いきます。 フィリピでは、鞭打たれ牢屋に入れられました。
テサロニケでは、ユダヤ人のねたみをかって、暴動が起こり
ました。
 パウロたちは逃れて、ベレアの町に行きましたが、そこへも
テサロニケのユダヤ人が押しかけてきて、騒ぎをおこしました。
 そこで、そこから逃れてアテネの町に行き、伝道がなされて
いきました。
 伝道旅行において、信じる人が起こり、教会が誕生して
いきます。
 しかし、伝道することによって自分の身の危険を感じるような
攻撃を、次々と受けていたのです。それにもかかわらず、
堂々と、また淡々となすべきことをなしているパウロたちの姿に、
目を奪われます。
 どうして、そのような歩みをすることができたのでしょうか。

 後にテサロニケ教会に宛てた手紙で「苦しめられ、辱められた
けれども、神に勇気づけられて、福音を語っていた」と言います
(Tテサ2:2)。
 神さまに勇気づけられることなしに、伝道旅行を続けることは
とてもできませんでした。
 しかし、彼らは、聖書の言葉を人々に語りながら、同時に
自分自身が聖書の言葉によって勇気づけられていたのです。
 彼らは、聖書を通して、神さまが大きな深い愛を持って救い主を
お送りする決断をし、そしてイエスさまが来られたことで、愛の
こもった救いを実現してくださったことを語りました。
 そのことを語りながら、自分自身が、神さまの深い愛に
包み込まれていることを、何度も味わい知ったでしょう。
 それが、彼らを支え、勇気づけました。
 聖書には、大切な独り子を十字架にかけてまでも救おうと
される神さまの大きな愛が描かれています。
 それが、いつの時代であっても人を真に生かします。